瀬戸焼

ノリタケ


瀬戸焼について
瀬戸焼とは、現在の愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称で平安時代から続く六古窯の一つで、現在も東日本での最大級の陶磁器の産地の一つです。
『瀬戸物』の名は愛知県瀬戸で生産される陶磁器が全国に広く行き渡り、やがて東日本を中心に陶磁器を現す総称になったものです。
その瀬戸焼は平安時代に古くから霊峰として地元の人に崇められてきた猿投山(さなげやま 現在の愛知県豊田市猿投町)の近くで、それまでの須恵器に代わりに灰釉を用いた『瓷器(しき 灰釉陶器)』を焼いたことが始まりと言われています。
瀬戸焼 日常の器


瀬戸焼と加藤四郎左衛門景正
瀬戸焼の名を全国に広めたのが加藤四郎左衛門景正で、加藤四郎左衛門景正は現在も瀬戸の窯業に従事する人や地元の人に『四郎さん』と慕われている陶祖です。加藤四郎左衛門景正は鎌倉時代に中国で6年間に渡り製陶技術を勉強し、帰国後瀬戸に窯を開いて、日本で初めて釉薬を施した『古瀬戸』を作り出しました。
これを機に瀬戸で焼かれた陶器は全国に広く流通し、瀬戸焼の名前も全国に知られるようになりました。
鎌倉時代に焼かれた瀬戸焼には優美な印花文や画花文を施したものが多かったのですが、時代が進み室町時代になると碗・鉢・皿と言った日用雑器の生産が増えてきました。
江戸時代になると九州の有田で日本で初めて磁器が焼かれました。その有田焼の磁器生産が急成長するに従って瀬戸焼は衰退の一途を辿ることになります。


陶器から磁器へ
時代は流れ江戸時代後期になると、有田焼の磁器に勝る磁器を瀬戸で作ろうとする機運が高まりました。
その当時の瀬戸と瀬戸焼の衰退の危機を救ったのが加藤民吉です。加藤民吉は単身で九州有田へ向かいます。そこで3年間の修行を積み磁器の製法を習得し1807年(文化4年)に瀬戸へ帰って来ました。
加藤民吉が帰ってきた後、新しい『丸窯(まるがま)』導入された他、生産業務の分業制が布かれ、瀬戸の磁器生産能力は急激に発展しました。さらに、従来の陶器に加え、新しい染付磁器の生産が盛んに行われました。
その頃の瀬戸では、一家一人の制により二男以下が陶業を継ぐことが出来ませんでしたが、磁器の生産に限っては二男以下の者も開業できるようにり、また陶器の製造から新たに磁器の製造を志す者も多くなったことなどから、磁器の生産量は陶器の生産を追い越す程になりました。


瀬戸に於ける近代窯業
和食器に留まらず洋食器などの焼き物を多く生産している瀬戸ですが、特にそれまでの枠を超えたタイルや置物などのインテリアなどは世界的にも注目されています。瀬戸で産出される良質な陶土と長い年月に蓄積された高度な技術が、食器だけでなく、幅広い分野で、それらの製造に適しているようです。
また、最近ではファインセラミック技術の進歩も目覚しく海外からも注目されています。
鎖国の時代が終わり日本には海外から様々な物と文化が怒涛の如く流入してきました。
そして明治政府は『富国強兵』の方針の下、アメリカやヨーロッパなどを始めとした西欧諸国に対抗しようとしました。ちょうどその頃、明治政府は窯業産業の振興に力を注ぎ1873年(明治6年)のウィーンでの万国博覧会にも瀬戸で焼かれた陶磁器が出品されたのです。万国博覧会で『瀬戸物』は非常に高い評価を得て、『瀬戸』の名は海外にも広がり、同時に海外からの注文も増加するようになりました。
1876年(明治9年)にはノリタケの前身である『森村組』がニューヨークに『モリムラブラザーズ』と言う輸入雑貨店を開き、瀬戸で作られた陶磁器などを大量に販売していたことなどもあり、1883年(明治16年)には、瀬戸で製造された陶磁器の輸出依存が70%にも達していたことからも『瀬戸物』の人気の様子を伺えます。
1902年(明治35年)、それまで主流であった登窯に代わり、燃料に掛かるコストの経済的な『石炭窯』が開発され、その石炭窯により大量生産が格段に進みました。さらに、轆轤(ろくろ)の動力化や石膏による成形、転写技術の開発と導入が行われ大量生産化がさらに進み近代化もさらに進みました。
1914年(大正3年)に第一次世界大戦が開戦し、ヨーロッパの諸国が参戦するとヨーロッパの陶磁器産業が大きな打撃を受けてしまいます。当時、ドイツの置物や装飾品は欧米諸国で人気が高かったのですが、それらの生産が中止されたことにより、瀬戸で作られた置物や装飾品が着目されました。
第二次世界大戦中の激化によって日本でのノリタケのボーンチャイナを除く一般磁器の製造は日本政府の令により中止されましたが、石炭の代わりに亜炭(石炭化が充分でない水分や不純物を多く含み得られる熱量が小さい炭)を使用しつつ、日常生活向けの陶器や金属製品の代用品を製造するなどして終戦を迎えました。
終戦後の瀬戸は戦災が比較的小さく、また戦後の物資の不足による需要の増加などで急速に復興しました。また、輸出が再開されると、かつて人気の高かった置物や装飾品が盛んに輸出され、さらに洋食器も輸出されるようになりました。このような厳しい状況の戦中戦後を乗り越えて、瀬戸と瀬戸物は日本の高度経済成長時代と共にさらに大きくなりました。



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